1981-06-02 第94回国会 参議院 農林水産委員会 第14号
○政府委員(松本作衞君) 現在の食管法におきましては、法律のたてまえといたしましては、あくまでも政府が買い入れましたものを配給の仕組みによりまして、配給計画、配給割り当て等の仕組みによりまして各国民、消費者一人一人までの割り当てをし、それに対応して購入券というものを発給いたしまして、その購入券に基づいた流通だけが認められておったわけでございまして、法律上のたてまえからいたしますと、消費者が自由に好きなものをどのような
○政府委員(松本作衞君) 現在の食管法におきましては、法律のたてまえといたしましては、あくまでも政府が買い入れましたものを配給の仕組みによりまして、配給計画、配給割り当て等の仕組みによりまして各国民、消費者一人一人までの割り当てをし、それに対応して購入券というものを発給いたしまして、その購入券に基づいた流通だけが認められておったわけでございまして、法律上のたてまえからいたしますと、消費者が自由に好きなものをどのような
○政府委員(松本作衞君) 実は、いま先生から御指摘がありました政省令等で対処をいたした面もいろいろとあるわけでございまして、たとえば自主流通米でございますとか、政府の買い入れ限度数量でありますとかいうような措置をとっておりまして、これは何も法律違反でもなくて法律の枠内で実施をしておったわけでございますが、いま申し上げました配給制度につきましては、これは法律上やはり、配給計画、配給割り当て、それを裏づけるものとしての
政府委員(松本作衞君) この第八条ノ四の緊急事態におきます措置につきましては、実はこの法律上、米穀の割り当て、購入券の発給その他配給に関し必要なる事項を政令をもって定めるとあるわけでございますが、どういう事態になるかによってこの政令の中身が変わってまいるというふうに考えておりましたので、政令の見込み事項としてお示しできなかった次第でございますが、一般の場合には、現在の法律において配給制度が、配給計画、配給
その過程におきまして自主流通米の制定でありますとか、小売と消費者との結びつきの廃止でありますとか、または品質別の価格の制度でありますとか、さらには限度数量の制定というようなことで、食糧需給事情の実態に合った改善をしてまいったわけでございますが、この法律の基本であります流通面におきましては、配給制度というものを前提にして組み立てられておりまして、現在の法律によりますと、この流通につきましては、配給計画、配給
○松本(作)政府委員 従来運営上実施をしてまいりました自主流通米等につきましては、これは食管法の中で「命令ヲ以テ定ムルモノヲ政府ニ売渡スベシ」ということになっておるわけでございますので、この「命令ヲ以テ定ムルモノ」という考え方の中で運用上の措置としてできるということをいままでも申しておるわけでございますが、今回改正をお願いしております配給計画、配給割り当てまたは購入券による売買ということは法律上はっきりと
全体での販売計画といいますか、流通計画、配給計画の中において、いわゆる正規の政府が買う場合のルートを通じて、ただ政府だけはこれに介在をしないという形で流れるようにいたしておるわけでございます。
それからなお、全農につきましては、各県あるいは各農協に対して計画配給を行なうというようなことで、この四十八肥料年度を何とか——現在五月でございまして、ほぼ最盛期を終わったことでございまして、ようやく愁眉を開くというような状態になったわけであります。
出てきませんから、今度四十億の金でアメリカから脱脂ミルクを買うということに対して、国内産を何とか使おうじゃないかという議論と、それによって酪農振興を大きくしようじゃないか——馬を牛に乗りかえる時代でありますから、そのかえた牛がしっかり農家の生産費の中に、あるいは家庭生活の中に生きてくるようにしようという気持が、よく私は了承できるのでありますから、従来盛っておられる予算そのものでさえも使えないで、計画配給
○村田政府委員 国内でできます全体の数量の一万五千トンのうち、ほとんど大部分は国内の需要に、いわゆるコマーシャル・ベースで需要のあると見ていい商品であろうかと存じますので、その中から優先的に学校給食用として幾ら押えていくかという、コマーシャル・ベースを離れて、学校給食用のための計画配給分を幾らにするかという問題になりますると、これはまた別途、よほど慎重に具体的な数量計算をし、計画を立てて参らなければならないと
そして全国の需要地にこれを計画配給をするということに目的としてはなっているわけですが、これが人工ふ化放流並びに計画配給というのが、具体的にどういうふうになされたものかどうかという点について数字的に伺いたいわけであります。
昨年の六月から毎月計画配給をいたしまして、不十分ながらもできるだけの確保をはかってきたような次第でありまして、その実績は計画をはるかに上回っておるというようなことに相なっておるのであります。
しかしそれは結局計画配給がふえてやみが減るということであって、国民経済全体からみれば、望ましいことをすれば赤字がふえてくるということで、農林省が大蔵省から常に押えられるというようなことは非常に本末転倒しておるというような感じでありまするが、その点につきまして、これは質問というのもおかしいのでありまするが、そういうことは他の会計の損失、赤字とは違うというふうに私は思いますが、いかがでございますか。
それから今ちよつと私の質問の要旨がおわかりにならないと思うのですが、少くとも百七十一円というものを値引きさせるならば、セメント会社はこれを受けて立つ場合に、やはり計画配給ということを恐らく言つて来ただろうと思うのです。従つてそれはどういう形になつて契約になつているか。今恐らく契約書か協定書を出して預ければ疑問もあると思うのですが、結構です。拝見します。
例えば建設省が一括して計画購入をやつて、そうして地建に計画配給をさせる、或いは地方公共団体に対して、事業の進捗率によつて、計画配給をさせておるかどうかという点です。これは九月から今頃まではいいのですが、十二月、一月、二月、三月となりますと、やはりセメント会社はサイロに相当セメントだ溜つて来るわけなんです。
(拍手) 次に、保利農林大臣は、前に申し述べましたように、管理制度の再検討をねらつて食糧対策協議会を成立させたのでございますが、そのねらいは、今までやつて来られた管理方式がすべて中途半端な統制方法であつたという考え方のもとに、すみやかにそのあやまちを正して、計画生産、自主供出、計画配給制度にもどし、もつて農民を安心させ、消費者に向つて不安なき食生活のできる基礎を定めようとするお考えなのでありますか
なおまたかんしよ、ばれいしよについての総合的な食糧計画をどうして立てないか、こういうお話でございますが、これはわれわれといたしましても食糧外に見ておるのではないのでありますが、しかしこのことについて、今までの計画配給のように、全部を計画的に配給することは私は考えておりませんが、しかし食生活の改善からして、ばれいしよあるいはかんしよ等が小学校の児童を通じて食生活の改善なり、あるいは農林省における生活改善課
ことしは若干前年と事情が違うようではありまするが、しかしなお超過供出に政府といたしましては計画配給上依存するところ多大なるものがあるということでございますので、この問題については目下慎重に考究中でございます。
その意味で私は現在の三百五十一万トンというものは二合七勺の配給を基準としての絶対不足量だけしか輸入をしない建前でありましたが、これは絶対不足量はこれはます毎月適当量出すべきであつて、それを出しても或いは三百五十一万トンというのは計画配給をしてどこにもよどみができないで、公平に国民に配給して、三百五十一万トンでありますから、これが自由ルートで流れて来れば、どつかに偏在して、或る所に足らんという現象が起
こういうやはり計画配給の必要性が、講和が来て日本が自立の道を歩むという点からも私は必要でないだろうか、余計なものを入れておいて配給辞退が起つて来る、それを前提として統制を外すということは、見方を変えれば貴重な外貨を濫費、濫費という言葉は当らんかも知れませんが、必要以上に使つて、その上で食糧の配給を外すということは大きな点からも私は一つのやはり間違いではないかというふうに感じたのであります。
配給をいたす、この米のみの一合五勺の配給につきましても、私はいろいろの角度から批判されてよろしいと思いまするが、その問題は別といたしましても、ともかく麦の出廻りまする六月の頃から十月までの四カ月間二合七勺の配給があり、片つ方で国内の麦が勝手自由にこれが消費される、こういういわば贅沢な消費が、日本の自立経済を叫んでおりまする今日、果して許されてよいかどうかということも、私は疑問に思うのでありまして、計画配給
と申しますのは、十一月から米だけで一合五勺の配給にする、こういうことでありまするが、そうなつて参りますると、麦のほうは自由販売、自由消費、誰がどういうふうに消費してもよろしいということになるわけでありまして、そうなつて参りますると、外国からの輸入量は私は当然に殖えて来るのではないだろうか、計画配給をしておりまして、主要食糧以外の消費を相当抑えておりまするから、それで例えば二百八十万トンであるとか或いは
それと並行して麦の自由販売、自由消費がここにあるわけでありますが、そうなつて参りますると国の全体の需給計画から見て参りまして、政府が全部国内麦を抑えて計画配給をしますれば、はつきりした不足量が出て参りまするけれども、自由販売、自由消費に麦がなりますると或いは人間の腹に入りませんで或いは工業用に費消される、或いは動物の飼料になるというものが相当あると思うのでございます。
十一月になりまして統制配給、計画配給をやめるようになりますと、そのあとの取扱いはどうなるかという問題であります。この点につきましては、統制的に配給するようなことを言つておられましたけれども、その統制的な配給という意味がはつきりしなかつたのであります。
当初配炭公団の業務開始当時におきましては、御案内の通り船舶が非常に不足いたしまして、計画配給をするために計画配船しなければならぬ。そういうことでむしろマル公を越えることを押えるために、マル公維持に非常に努力をしたという段階がございました。次の段階は幾分船舶が余つて参りまして、幾分これを引けということで、マル公よりも一割程度値下げをさせて契約をしております。
統制の意味はどこにあるかというと、計画配給にあることは当然であります。だがいずれ資料をお出しになつて、どういう資料にその数字が現われるか、私も調査しておりまするが、あまり食い違いのない資料を出していただきたいのであります。私が考えていることは、大体において公定価格を大きく下まわつているのであります。そしてそれは全部自由販売になつでおる。